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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る これは大物の予感!家康三男・長丸(徳川秀忠)の幼少期エピソード【どうする家康】

これは大物の予感!家康三男・長丸(徳川秀忠)の幼少期エピソード【どうする家康】

あるいは牛が近くにいるようなところ、例えばわざわざ農家などへ出向いて勉強……したとはちょっと考えにくいですね。

とにかく牛は秀忠の近くまでやって来て、誰も止めることが出来なかったのでしょう。ということは、よほど凄まじい勢いで突っ込んで来たものと考えられます。

果たして牛は戸やら障子を突き破って大暴れ。当然ながら現場は騒然となりました。

しかし秀忠は微塵も慌てず騒がず、家臣に命じて書物を読み続けさせたと言います。

秀忠は日ごろから授業中「足をもって節をなす」つまり足をトントンしてリズムをとっていたようですが、この時も変わらぬリズムを刻んでいたそうです(でも、何だかうるさそうですね)。

まったく、どいつもこいつも騒がしくて集中できぬ……少しは静かにできんのか(その足トントンは……いえ、何でもありません)。

授業が終わり(最後まで授業を続けた家臣も凄いですね)、腹立たしく周囲を見回した秀忠。ただ、怒ってもしょうがないので何もいわず、涼しい顔で立ち去ったのでした。

終わりに

小幡景憲嘗て人に語て曰く、公の徳量の如きは、神祖と雖も殆んど之に尚(まさ)ることなしと。又曰く、公幼より学を講ぜられしかども儒学を以て戯談と爲さず之を以て知る者罕(まれ)なりと云ふ。……

※『名将言行録』巻之四十二 ○徳川秀忠

「……ということがあったのじゃ」

そう語って聞かせたのは小幡景憲(おばた かげのり)。武田家臣の子孫で、甲州流軍学の祖として名高い人物です。

「秀忠様の仁徳や度量は、たとえ神祖(家康)といえども敵わなかったのではなかろうか……」

武将としての才覚よりも、為政者としてすぐれた徳をあらわす秀忠。続けて景憲は語りました。

「秀忠様は幼い頃から学問に励まれていたが、儒学の絵空事(戯談)と侮らず、その本質を知る希有な方にあらせられる」

理想的な世の在り方を追い求め、家康から安寧の世を受け継いだ秀忠。『名将言行録』は史料としての信憑性には乏しいものの、人々から「秀忠ならさもありなん」と思わせるだけの素養は備えていたことでしょう。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どのような活躍をするのでしょうか。キャスティングと合わせて、楽しみですね!

※参考文献:

  • 岡谷繁実『名将言行録(五)』国立国会図書館デジタルコレクション
 

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