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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る これは大物の予感!家康三男・長丸(徳川秀忠)の幼少期エピソード【どうする家康】

これは大物の予感!家康三男・長丸(徳川秀忠)の幼少期エピソード【どうする家康】

徳川家康(演:松本潤)は多くの側室がいたことで有名ですが、その一人である於愛の方(演:広瀬アリス。西郷局)との間には長丸(ちょうまる)と福松丸(ふくまつまる)を授かりました。

……七年の卯月七日に浜松の城にしては三郎君生れたまふ。是ぞ後に天下の御ゆづりをうけつがせ給ひし   台徳院太政大臣の御事なり。御母君は西郷の局と申。さしつづき翌年この腹にまた四郎君生れ給ふ。是薩摩中将忠吉卿とぞ申き。……

※『東照宮御実紀』巻三 天正六年-同七年「天正七年秀忠生」

※ここで言う三郎とは岡崎三郎(長男・松平信康)ではなく、単に家康の三男を意味します。

この長丸が後の徳川秀忠(ひでただ)。後に江戸幕府の第2代将軍となる人物です。

果たして彼はどんな生涯をたどるのか……今回は『名将言行録』より、徳川秀忠の幼少期エピソードを紹介したいと思います。

勉強中に牛が乱入!しかし秀忠は……

徳川家康の第三子、征夷大将軍に任じ、累遷して従一位太政大臣と為る。寛永九年正月二十四日薨、年五十四、正一位を贈らる。

秀忠幼年より徳量人に絶せり。十三歳の時、侍臣をして書を読ましめ、之を聴き居し所に、俄に牛あり、外より突き入り戸障子盡く倒れ、泣然として聲あり、近侍の士皆錯愕措を失せり、秀忠神色恬然たり。秀忠業を習ふ毎に、足を以て節を為せり、是時従容として節を撃つこと平常に異ならず、既に業終りければ、起出て左右を怒り見ること良(やゝ)久し、去れども何も言はるゝことなし、……

※『名将言行録』巻之四十二 ○徳川秀忠

秀忠は幼いころから、人並み外れて仁徳や度量にすぐれていたそうです。

そんな秀忠が13歳の時……という事は、天正7年(1579年)生まれなので天正19年(1591年)の事となります。

勉強熱心な秀忠は、家臣に書物を読ませてこれを聴いていたのですが、どういう訳か牛が乱入してきました。

ちょっと待って下さい。ふつう若君が勉強すると言えば城内のはず。そんなところまで牛がやって来たのでしょうか。

2ページ目 秀忠は微塵も慌てず騒がず

 

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