『豊臣兄弟!』与一郎は史実でも討死した?実際の光秀の最期など第29回「天下への道」の見どころを史実解説
「何のためにわしは侍になったんじゃ!」
天下分け目の山崎合戦を制して明智光秀(要潤)を滅ぼしたものの、愛息の与一郎(大西利空)を喪ったことで、羽柴一家は悲しみに暮れます。
かつて上様と夢見た「新しき世」を創れるのは、自分しかいない。そう確信した秀吉(池松壮亮)は、亡き信長(小栗旬)を継いで天下人となる野心を、小一郎(仲野太賀)だけに打ち明けたのでした。
そんな第29回放送「天下への道」、今週も気になるトピックを振り返ってまいりましょう!
※関連記事:
『豊臣兄弟!』10代で散った小一郎と慶の嫡男・与一郎(大西利空)。豊臣家の跡継ぎを襲った悲劇
【豊臣兄弟!】「自分を殺そうとした男」の側室に…秀吉に処刑されかけた姫・南局を襲った数奇な運命
織田兄弟の後継者争い
本能寺の変で信長嫡男であった織田信忠(小関裕太)も自害したため、織田家の後継者をめぐって次男の織田信雄(山脇辰哉)と三男の織田信孝(結木滉星)が対立する様子が描かれていました。
本能寺の変を知った信雄はすぐさま弔い合戦に出陣しますが、兵力の多くを信孝の支援に回していたため兵力が足りず、途中で断念してしまいます。
一方で信孝は秀吉らと合流し、信長の遺児として名目上の総大将に担ぎ上げられるも、指揮の実権は秀吉らに握られている状態でした。
それでも清須会議(信長の後継者選定会議)では信雄より一歩リードした状態ですが、果たして信長の後継者は誰になるのでしょうか。
『豊臣兄弟!』安土城炎上は信長次男・織田信雄(山脇辰哉)の仕業?本能寺の変で見せた意外な行動
【豊臣兄弟!】これは惚れる!織田信長の息子、信雄・信孝兄弟が実際に使っていたキャッチフレーズがカッコ良すぎ
一方そのころ家康は?
外遊先の堺から命からがら本拠地の三河国へ逃げ帰った徳川家康(松下洸平)は、秀吉に先を越されたと聞いて弔い合戦を諦め、甲斐・信濃両国の制圧に乗り出しました。
天正10年(1582年)3月に武田勝頼を滅ぼしたばかり、まだ統治体制が確立されていない中で信長を喪ったため、両国は大混乱に陥っています。
例えば織田家臣の河尻秀隆は甲斐の国主に任じられていたものの、武田残党の襲撃を受けて命を落としました。
そして甲斐・信濃の支配権をめぐって相模の北条氏政・越後の上杉景勝も参戦し、三つ巴の死闘が繰り広げられます。
これが後世に伝わる天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)、やがて秀吉らの仲介で和睦することとなりますが、果たしてどのような展開を迎えるのでしょうか。もしかするとナレーションで割愛されるかもしれませんね。





