『豊臣兄弟!』与一郎は史実でも討死した?実際の光秀の最期など第29回「天下への道」の見どころを史実解説:2ページ目
実は池田恒興が主導していた?
大河紀行で少し紹介されていましたが、実は秀吉が天下分け目の山崎合戦に遅参し、池田恒興(堀井新太)が主導権を握っていた可能性が指摘されています。
秀吉本隊20,000が到着する前に、織田連合軍20,000が明智軍16,000を制し、秀吉が到着したころには勝負がついていたのかもしれません。
そうなると「弔い合戦の第一人者」としての立場は怪しくなりますが、結果として織田政権の主導権を奪ってしまったのですから、やはり秀吉の政治力が尋常ではなかったのでしょう。
一方の恒興は弔い合戦の第一人者でありながら、政治力で引けを取ったため秀吉に屈することとなったようです。
『豊臣兄弟!』本能寺の変、勃発!信長を失った豊臣兄弟はどう動く?次回へ続く「中国大返し」と山崎決戦を解説
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第27回「本能寺の変」にて、ついに明智光秀(要潤)が出陣。天下を揺るがす大事件、本能寺の変が勃発し、織田信長(小栗旬)が非業の死を遂げました。※前回放送の考察:[ins…
秀吉と光秀の茶会は史実?
山崎の合戦に敗れた光秀は落ち延びる最中、落ち武者狩りによって命を落としたと言われています。
秀吉も浅野長政(大地伸永)にあてた書状で「明智め山科の藪の中へ逃れ入り、百姓に首をひろわれ申し候」と認識していました。
「首をひろわれ」とは直接殺されたのか、あるいは襲撃によって重傷を負い、自害後に首級を発見されたのかは諸説あるようです。
光秀の首級はまず信孝のもとへ届けられ、本能寺の焼け跡に梟首とされました。その後に斬首された斎藤利三(内藤剛志)の首級も届けられたため、それぞれの首と胴体をつないだ上でさらし者にしたそうです。
光秀「信長を討ったのはわしの手柄じゃ」
誰もが恐れ、多くの者が怨んだ信長を我が手で討ち取った光秀の胸中は、果たしてどのようなものだったのでしょうか。


