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凄いぞ大阪!織田信長・豊臣秀吉ら時の権力者が欲しがった交通の要衝。大阪の歴史的意義【後編(戦国~近世)】

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安土桃山時代の大阪

織田信長は、第11代宗主顕如が守る石山本願寺を10年以上にわたり、攻め続けました。当初有利に戦いを進めていたものの、制海権を奪われ兵糧が不足した石山本願寺は、ついに1580年、顕如が鷺森別院に向けて退去します。

そして、顕如の長男・教如が退去した直後に堂舎・寺内町が炎上して灰燼に帰しました。こうして、ついに石山本願寺のほとんどが焼かれ、大阪は織田信長の支配下におかれるのです。

おそらく信長は、石山本願寺の跡に新たな城郭を築こうとしていたと思われます。ただ、その信長の支配は長く続きませんでした。1582年、本能寺の変で信長が倒れると、大阪は豊臣秀吉の支配するところとなりました。

秀吉は、信長の遺志を継ぎ、石山本願寺跡に大阪城を築きます。また、東横堀川・西横堀川・阿波堀川などを堀り、海運・水運の拠点とし、各地から商人を移住させ木綿・油・薬種・金属加工業などの産業の集中を図り、天下人の本拠地にふさわしい城下町を構成しました。大阪は、海外貿易の拠点となり、大いなる発展を遂げたのです。

 

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