守るために戦いを選んだ!非戦闘員と共に敵軍を16回退けた女性「妙林尼(みょうりんに)」の決死の戦い:2ページ目
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相手を油断させて63人を討ち取る
妙林尼は鶴崎城にいる文綱たちにお酒をふるまい手厚くもてなしました。そして、天正15年(1587)に、豊臣秀吉が島津軍討伐のために九州に来ていることを知ると、文綱は撤退しました。
そこに妙林尼は、島津家に寝返ることを伝え、文綱の元に行くことを伝えます。
それに気をよくした文綱たちは、祝賀と称した宴会で大量のお酒を飲まされました。泥酔状態となった後、妙林尼は「準備があるから後から合流する」と伝え、ゆっくり撤退していく文綱たちに対して奇襲を仕掛けました。
この戦いは奇襲した場所にちなんで乙津川の戦いと呼ばれ、文綱は流れ矢が元で戦死しています。
妙林尼はこの戦いで、63人の島津軍兵士の首級を挙げました。この活躍に秀吉は歓喜し、会いたいと願い出ますが、妙林尼は拒否。その後の行方は残念ながら不明です。
最後に
圧倒的な戦力差を物ともせず、勇敢に戦った妙林尼。非戦闘員を戦闘にかりたてるカリスマ性と16回も退けた智謀は、まるで一介の武士のように見えてしまいます。
彼女の活躍は、この時だけですが、一時的な城主として戦った姿は多くの人を魅力するのは言うまでもありませんね。
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