海がつないだ2国。改めて知りたい日本とポルトガルの歴史
さまざまな国が存在するヨーロッパ。そんなヨーロッパ諸国のなかでも、日本にとって最も長い友好の歴史を築いてきたのが、ポルトガルです。遠くはなれた2国を結びつけたのは「海」でした。そして、日本はポルトガルからさまざまな物や文化を取り入れており、現代の私たちが何気なく使っている言葉も、ポルトガル語由来のものがいくつもあります。
そこで今回の記事では、日本とポルトガルの歴史に迫ってみたいと思います!
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日本に上陸した最初のヨーロッパ人はポルトガル人だった
日本に最初に上陸したヨーロッパ人はポルトガル人だったと言われています。しかし、日本にたどり着きたくて上陸したのではなく、1543年にポルトガル人が乗った中国船が難破し、種子島に漂着した結果でした。
そもそも、それ以前にポルトガルは中国と交易を始めていましたが、中国に住んでいたポルトガル人薬剤師が自身の体験談『東方諸国記』のなかで「ジャンポン(日本)は、商品も自然の産物にも恵まれていない」と記していたことから、ポルトガルにとって日本は強い興味の対象ではなかったのです。
ポルトガル人が種子島に漂着した際、彼らが持っていた火器に日本人が興味を示し、買い取ります。いわゆる鉄砲伝来であり、ここから日本とポルトガルの交流がスタートします。
ザビエル上陸
フランシスコ・ザビエルはスペイン出身のイエズス会宣教師ですが、そもそも彼が海外布教を行っていたのは、ポルトガル国王の命令でした。ザビエルの上陸により、日本にキリスト教がもたらされました。
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