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武将・茶人として、徳川家康から重用された細川忠興(三斎)。京都大徳寺「高桐院」に色濃く残る忠興の面影を訪ねる。【どうする家康】

武将・茶人として、徳川家康から重用された細川忠興(三斎)。京都大徳寺「高桐院」に色濃く残る忠興の面影を訪ねる。【どうする家康】:3ページ目

三斎とガラシャの墓標は、利休秘蔵の天下一の灯籠

露地庭奥、築地塀に囲まれた場所に細川家墓所があり、その一画に利休秘蔵の天下一の灯籠を墓標とした忠興(三斎)とその夫人ガラシャの墓が立ちます。

ガラシャは明智光秀の娘で本名を玉といい、16歳で三斎に嫁ぎました。夫とともにキリシタンとなりガラシャと名乗りましたが、関ケ原の戦いの折り西軍の捕虜となるのを拒み、屋敷に火をかけて38歳の生涯を閉じました。

この灯籠は、秀吉に望まれたため利休がわざと裏面の笠の一部を破損させ疵物にしたという逸話が残ります。そこまでして秀吉に渡すことを拒んだために、利休切腹の一要因ともいわれています。

露地庭には忠興(三斎)愛用の手水鉢が埋め込まれています。少し窪んだ場所に据えられた「降りつくばい」と呼ばれる袈裟型の手水鉢で、加藤清正から忠興(三斎)に贈られたもの。参勤交代の際にも持ち歩いたといわれるほど、お気に入りの手水鉢でした。

また同じく露地庭にある井戸は、忠興(三斎)の月命日に墓前へ捧げる水を汲み上げていたもので、「三斎井戸」と呼ばれています。苔蒸した古井戸が、茶人の寺の雰囲気にぴったりと調和します。

「高桐院」は、改修工事・コロナ禍などの理由で、現在拝観休止中。しかしながら、拝観が再開された時には、すぐにでも訪れたいほどの魅力に溢れた寺院として、心にとどめていただければ幸いです。

※高桐院 DETA
京都市北区紫野大徳寺町73-1
交通:市バス「大徳寺前」から徒歩8分

※参考文献
『歴史と文化を愉しむ 京都庭園ガイド』(京都歴史文化研究会著・メイツユニバーサルコンテンツ刊/高野晃彰・執筆編集)

 

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