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神さま仏さま泰時さま!天下の名宰相・北条泰時が飢饉に苦しむ領民を救ったエピソード【鎌倉殿の13人】

神さま仏さま泰時さま!天下の名宰相・北条泰時が飢饉に苦しむ領民を救ったエピソード【鎌倉殿の13人】:3ページ目

終わりに

建仁元年十月大六日癸未。江馬太郎殿昨日下着豆州北條給。當所。去年依少損亡。去春庶民等粮乏。央失耕作計之間。捧數十人連署状。給出擧米五十石。仍返上期。爲今年秋之處。去月大風之後。國郡大損亡。不堪飢之族已以欲餓死故。負累件米之輩兼怖譴責。挿逐電思之由。令聞及給之間。爲救民愁。所被揚鞭也。今日。召聚彼數十人負人等。於其眼前。被燒弃證文畢。雖屬豊稔。不可有糺返沙汰之由。直被仰含。剩賜飯酒并人別一斗米。各且喜悦。且涕泣退出。皆合手願御子孫繁榮云々。如飯酒事。兼日沙汰人所被用意也。

※『吾妻鏡』建仁元年(1201年)10月6日条

以上『吾妻鏡』が伝える泰時の名君エピソードを紹介してきました。

しかしこれには元ネタがあり、中国大陸の古典『史記』『戦国策』に登場する馮驩(ふう かん。紀元前3世紀ごろ)のエピソードを『吾妻鏡』編者がほぼそのまま流用(パクリ?)した可能性があります。

もちろん泰時がこれらの漢籍に学び、馮驩を意識・実践した可能性もあるため、一概に創作と断定はできません。

これは北条びいきの『吾妻鏡』編者が泰時のすごさをアピールするために創作したのか、あるいは単に当時世の中に広まっていた伝承を収録した可能性も考えられます。

でも、ただ泰時≒北条氏の凄さをアピールしたいのであれば他の執権たちにも色々盛り込めばいいのですし、やはり「泰時ならそのくらいやってくれそう」という伝承の下地となる活躍があったのは確かなようです。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はいよいよ本番。父の背中を見て育った北条泰時が、これからも著しい成長を魅せてくれるのを楽しみにしています。

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
 

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