【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その3:3ページ目
政子の再上洛と貞暁の凄まじい決意
1218(健保6)年2月4日、北条政子が2度目の上洛を行います。初回同様、北条時房を供に熊野詣を兼ねていました。
しかし、政子上洛の本当の目的は実朝の後継者として、後鳥羽上皇の皇子頼仁親王を所望することでした。そのために、親王の養育者で権力者でもあった上皇の乳母藤原兼子と会談を重ね、その内諾を得たのです。
その上で政子は、高野山にいる貞暁に自分との面会を命じました。面会の目的は、頼朝の血筋として将軍家を継ぐことができる貞暁の意思確認であったのです。
政子を避けていた貞暁ですが、政子の強い要望に応えざるを得ませんでした。当時の高野山は女人禁制の地です。面会は山麓天野に鎮座する高野山の守護神丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)で行われました。
政子:そなたが貞暁か。初めてお会いするが、元気でなによりです。
貞暁:こちらこそ初めての御目通り、うれしく思います。朝に晩に御台所様のご壮健と幕府の安泰をお祈りしておりました。
政子:私が亡き頼朝公と幕府を創設したのは、ひとえに武家の世を望んでのこと。ただ、そなたも知ってのとおり、将軍実朝には跡継ぎの子ができません。
貞暁:御台様の御働きとご心痛は、拙僧とて理解しております。
政子:ならば貞暁殿。源氏と武家の世を長く続けさせるために、還俗して鎌倉に戻っていただけぬか。
貞暁は高野山にいても、仁和寺から知らされる情報で都の状況は把握していました。政子が後鳥羽上皇の皇子を将軍として所望していること。その後援者として北条の権力をさらに大きなものにしたいこと。もし、自分が将軍職を望めば、それは政子の意に反することになり、それがどのような結果をもたらすかを熟知していたのです。
貞暁:何を仰せられます。拙僧は武家に戻るなど全く考えておりません。その証をこの場で御披露いたそう。
貞暁は政子との面会にあたり、頼朝から授けられた太刀を持参していました。突然その太刀を抜くと、止めるまもなく左目に突き刺し眼球を抉ったのです。
貞暁:このようになっては、もはや武家として戦場での働きは望めません。ご納得いただけないならば、もう片方の目も潰しましょうぞ。
政子:もうよい!見事な覚悟を拝見いたした。どうやら私の考えが間違っていたようです。そなたには申し訳ないことをした。どうぞ、仏道に御専心ください。
政子は貞暁の凄まじい決意を目の当たりにし、感服すると同時に今までの自分を恥じ、心から詫びました。そして貞暁に、権力争いの末命を落としていった源氏・北条一門の菩提を弔うことを依頼したのです。