【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その3:4ページ目
その後の貞暁と現存する三基の五輪塔
貞暁と政子の面会からわずか1年後の1219(建保7)年1月27日、鎌倉幕府三代将軍源実朝は公卿に暗殺されました。
晩年の政子は貞暁に深く帰依したといわれます。1223(貞応2)年、貞暁は政子の援助で五坊寂静院を建て、幕府も貞暁を頼朝の血を引く「鎌倉法印」として崇敬しました。
貞暁もまた将軍家三代の菩提を弔うために三基の五輪塔を建て、46歳でこの世を去るまで源氏一門の鎮魂のために生涯を捧げたのです。
三基の五輪塔は現在「源氏三代五輪塔」として西室院境内の一画に現存しています。江戸時代の享保年間(1716~1736年)の高野山古絵図(西室院蔵)には四基の五輪塔が描かれ、頼朝公墓・頼家公墓・実朝公墓・二位尼墓(北条政子)と記されており、二位尼墓だけは所在が不明となっています。
三基の五輪塔はその形態から、鎌倉初期の同一期に建てられたものとされ、貞暁が建てた五輪塔と考えて差し支えないでしょう。
「源氏三代五輪塔」は誰もが拝観することができます。拝観希望の方はあらかじめ西室院に連絡のうえ、伺うようにしましょう。
3回にわたり、源頼朝最後の男系男子・貞暁の波乱に満ちた人生を、政子との因縁を交えながらお話をしてきました。長い文章になりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。