蝦夷征伐に仏教勢力の排除…ミスター遷都・桓武天皇の生涯と業績を紹介:2ページ目
仏教勢力の排除と蝦夷征伐
さて、当時の都で政治を行うにあたり、悩ましい存在だったのが奈良仏教の各寺院の影響力でした。彼らは当時強い勢力を持っており、何かと政治に口を挟んできがちだったのです。
そこで、桓武天皇は784年に長岡京へ遷都します。仏教勢力の影響が強い都を、いったん捨てることにしたのです。
それだけのために都を移すというのも大胆ですが、交通手段の発達していない当時であれば、約40km離れた場所に変えるだけでも大きな変化だったと言えます。
しかし、遷都はしたものの日照りや天災が発生した上に、関係者の死去など多くの災いが発生します。そこで、和気清麻呂からのアドバイスもあり、794年には平安京へと再び遷都します。実に目まぐるしい移動です。
ちなみに仏教勢力については、のちに天台宗の開祖となる最澄に中国で新しい仏教を学ばせ、その後強力に保護しました。そして、奈良仏教を始めとする既存勢力に対しては圧力を加えています。
桓武天皇のもう一つの実績が、蝦夷(えみし)征伐による東北地方の平定です。蝦夷とは中央政府すなわち朝廷に帰属しない人々のことで、現在の東北地方を拠点としていました。
蝦夷征伐そのものは以前から行われていましたが、本格的なものは桓武天皇によるものが初めてです。
3度目には坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して蝦夷の首長であるアテルイを降伏させ、803年には志波城を築くことで事実上東北地方をほぼ平定するに至りました。
ただし民衆への負担も大きくなってきたことで以降の蝦夷征伐は中断されます。