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ベースボールを「野球」と名付けたのはなんと歌人・正岡子規だった!?…という誤解:2ページ目
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野球と名付けた人物
では“ベースボール”を「野球」と名付けたのは誰なのかという話になりますが、それは鹿児島県鹿児島市出身の中馬庚(ちゅうま かなえ)という教育者であり、元野球選手です。
第一高等中学校のベースボール部員という、正岡子規の(東京大学予備門は第一高等中学校の前身)後輩になります。
中馬は、第一高等中学校を卒業する際に出版する「ベースボール部史」執筆を依頼されました。“ベースボール”をどう訳すか色々案は出たがなかなか決まらなかったようです。
執筆の完成間近「ball in the filed」という言葉を元に“ベースボール”は“野原”でするので「野球」と解釈し、そのように説明しました。
これが「一高野球部史」として発行されるのです。
中馬は明治30年(1897年)、一般向けの野球専門書「野球」を出版します。それがやがて“ベースボール”イコール「野球」という言葉として定着します。
つまり野球の名付け親は“中馬庚”なのです。
その功績により昭和45年(1970年)、特別表彰という形で野球殿堂入りしました。
何故、正岡子規が“野球”の名付け親と誤解された?
実は正岡子規が“野球”と名付けたという説は根強くあります。それは何故でしょうか。
正岡子規の幼名は“升(のぼる)”です。
正岡子規は野球に熱中し、自分の雅号を「野球」「能球」としていた時期があるのです。 球をボールと読ませて「ノボール」「ノゥボール」と幼名の升(のぼる)と掛けたのです。読み方も「やきゅう」ではありません。
しかしこのことが、“正岡子規が「野球」の名付け親”だと勘違いの元になってしまったのかもしれません。
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