知ってた?京都には、金閣・銀閣…そして信長親子やあの天下の大泥棒を供養する「銅閣寺」がある:2ページ目
時を経て移転した先は帝国ホテル創始者の別荘地!
四条に移転後、天明の大火により焼失した大雲院ですが、明治初期には復興。時は流れ、昭和48年(1973年)には、現在の祇園・東山界隈の地に移転。阿弥陀像が設置されました。
実は、その地は現在の大成建設や帝国ホテルの創始者で、日本の実業家・大倉喜八郎氏の別荘地だったのです。
祇園祭の鉾(ほこ)がモチーフにしたデザイン
大倉喜八郎氏は、祇園・東山の土地に老後の保養地として別邸・真葛荘を建てていました。
そして、「金閣・銀閣についで、銅閣を作ろう」と考えて、敷地内に「銅閣」を建てたそう。
銅閣は、平安神宮などを設計した建築家・伊東忠太氏。大倉氏の要望により、祇園祭の山鉾をモチーフにしたデザインにしたため、その形から「祇園閣」と呼ばれました。屋根は、銅板葺きとなっています。
その後、この真葛荘に大雲院が移転、祇園閣は大雲院の所有となり「大雲院=銅閣寺」として知られることになったのです。