源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【四】:3ページ目
やったぁ!初陣の勝利と、しばしの別れ
一方その頃、館で戦果を待っている頼朝はと言えば、見張りとして庭木に登らせていた江太新平次(えだ しんへいじ)に、何度も「どうだ?山木判官の館から火の手が上がったか?」と訊くなど、ずっとソワソワしっ放しです。
「……落ち着かれませ!御大将がそのようなことでは、勝てる戦さも勝てませぬぞ!」
呆れる政子の叱咤も耳に入らず、頼朝は今にも駆け出していきそうな勢いです。
「えぇい、宿直の者は全員集合!」
先ほど待機させておいた5名を集合させ、その中から加藤次景廉に自分の長刀を与えて
「これで山木判官の首級を奪って参れ!」
「ははぁ」
予備兵力も放出して、政子と二人っきりになった頼朝が相変わらずソワソワ待っていると、やがて山木判官の館から火の手が上がりました。
「おぉ……勝った、勝ったぞ政子!」
喜びはしゃぐ頼朝を、政子がやさしく叱咤します。
「よぅございました……しかし、これからが大勝負にございます……わたくしは足手まといにならぬよう、走湯山(そうとうざん。現:静岡県熱海市、伊豆山神社)へ参ります」
「……しばしの辛抱ぞ」
「きっと、迎えにいらして下さいね……」
珍しく二人がイチャついていた一方で、山木判官の最期と言えば、先ほど長刀を与えられた加藤次景廉が、長刀の先に自分の兜を引っかけて障子の陰から囮(おとり)に突き出し、これを判官が斬りかかった隙を衝いて討ち取ったそうです。
「あぁ、悔しい!」
大いに奮戦したものの、又しても大手柄を立て損ねた義時は、勝利の中でありながら、あと一歩な初陣となったのでした。
しかし、まだ戦いは始まったばかり。義時が手柄を立てる機会などいくらでもあります。生き残ることが出来れば、ですが……。
【続く】
※参考文献:
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月
坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年12月
阿部猛『教養の日本史 鎌倉武士の世界』東京堂出版、1994年1月
石井進『鎌倉武士の実像 合戦と暮しのおきて』平凡社、2002年11月