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あらゆるものに神は宿る!絵師・伊藤若冲の名作「動稙綵絵 池辺群虫図」をじっくり鑑賞&解説

あらゆるものに神は宿る!絵師・伊藤若冲の名作「動稙綵絵 池辺群虫図」をじっくり鑑賞&解説:3ページ目

 

池の上の世界では、クモが巣をはり獲物を捉えています。瓢箪には蛇が巻きついて、こちらも獲物を探しているのでしょうか。様々なとんぼや蝶がまるで静止しているような何とも不思議な世界感を醸し出しています。

 

瓢箪の蔓の上では、キリギリスの雄が雌に求愛行動をしています。

「もう虫を見るのは嫌だ」と思っている方もいらっしゃるかもしれませんね。人間は“足があるものが嫌いな人”と、“足の無いものが嫌いな人”とに分かれると言われています。

私はクモなど足の多いものが嫌いですが、蛇やミミズは平気です。私の友人には蝶が嫌いな人がいます。「蝶が嫌いだ」といって一匹の蝶に騒いでいる友人は私の目には奇異に見えます。逆もまたそうなのでしょう。

しかしこの『動植綵絵』“池辺群虫図”に描かれているクモを見ても、あまり気味悪く感じません。とても精密に描かれているのですが、その表現に何か柔らかさのようなものが含まれているように感じるのです。これから獲物を捉えようとしているというのに。

伊藤若冲は子供の頃から、少し他の子供とは違っていたようです。それは大人になっても変わらず、若冲が『動植綵絵』を寄進した、相国寺の大典顕常禅師が書いた書物によると、“(若冲は)幼い時から学ぶということが大の嫌い、書も下手なら、技芸百般、自慢じゃないが、ひとつたりとも身につけたものはない”と書かれています。

伊藤若冲の生家は京の錦市場の裕福な青物問屋でしたから、花街での付き合いなどもあったでしょう。当時、花街を盛り上げていたのは裕福な商人たちでした。そんなときに詩歌の一つもひねりだせないようでは、人付き合いもあまり上手いとは言えなかったかもしれません。

だからこそ若冲は生きることに悩み、父親は浄土宗であったのですが、禅宗に救いを見出すことになったのでしょう。

ある意味、季節のないこの絵の中に群れ集まる虫たちは、おのが習性のままに生きる自然そのものであり、そこに生きる意味というものがあるのならば、それを体現する仏や神の姿が内包されていることを若冲は悟っていたのではないでしょうか。

この絵に描かれる精緻な描写と幻想の中にある不思議な美しさは、唯一無二のものであると言っても過言ではないでしょう。

『動植綵絵』は明治維新後、相国寺から明治22年(1889)に皇室に献納され、現在では皇居東御苑内にある三の丸尚蔵館に所蔵されています。

 

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