たった一人で織田軍を足止めした歴戦の武者・笠井肥後守高利の壮絶な最期【中編】:2ページ目
勝頼公を我が馬に乗せ、自分は敵を食い止める!
「おう肥後守よ、生きておったか!」
「笠井殿が助太刀なれば、千人力じゃ!」
高利の加勢に、勝頼公の伝右衛門と惣藏は大喜びですが、高利は勝頼公に早急に退却するよう急き立て、馬が動けなくなった事情を聴くなり自分の馬から飛び降りました。
「御屋形様、それがしの馬にお乗り下され!……伝右衛門と惣藏も、早う行け!」
思ってもない申し出を受けた勝頼公は、俄かに動揺してしまいます。
「そのような事をすれば、そなたの命はなかろうに!」
馬は武士にとって足であり、中でも人馬一体の機動力こそがその精強さの基(もとい)となる甲州武者が馬から下りることが何を意味するか、知らぬ高利ではない筈……しかし当然の如く、高利は覚悟を決めていました。
「命など、大義の前には軽いものです。我が死をもって主君代々の御恩に報いて御覧に入れます……ところで、それがしには子が一人おりまして、もしご無事に戻られた暁には、お傍に取り立てて頂けると……」
【原文】……命は義に因(よ)りて輕(かろ)し、一死以て君恩に答へ奉らんのみ、臣一子あり事平(たいら)かば、幸(さいわい)に御取立(おとりたて)下(くだし)置かれたし……
※『長篠軍記』武田方の陣容及び両軍の大戦 より。
「……相分かった。肥後守よ、そなたの忠義、末代まで忘れはせぬ!」
「勿体無きお言葉……さぁ早く!伝右衛門、惣藏……御屋形様を頼んだぞ!」
「「承知!」」
かくして勝頼公主従を先に行かせた高利が、少しでも距離を稼ごうと徒歩(かち)で街道を一町(約109m)ばかり戻ったところで織田軍の先鋒と遭遇。追撃の魔手は、もうギリギリのところまで迫っていたのでした。