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江戸時代に琉球を経て日本にやってきたサツマイモ、江戸っ子にも大人気でした

江戸時代に琉球を経て日本にやってきたサツマイモ、江戸っ子にも大人気でした:2ページ目

さて、このサツマイモですがその後、青木昆陽という人物によって、当時食糧不足に悩まされていた徳川幕府八代将軍・徳川吉宗に紹介されました。

吉宗は早速、昆陽に関東でのサツマイモの試作を命じます。そしてとうとう享保20年(1735年)、昆陽が小石川植物園、幕張、九十九里浜などで薩摩芋の栽培に成功するとサツマイモとその調理法「煨薯わいしょ(焼き芋)」は瞬く間に関東一円に広まるようになりました。

サツマイモは量も多く食事の代わりになったことから、食事の代用食として江戸っ子たちに受け入れられました。

江戸のお金持ちは、ホクホクの食感を満喫し、貧乏な庶民は腹いっぱい焼き芋を楽しんだといいます。

江戸の文人・寺門静軒が天保年間に刊行した『江戸繁盛記』には、

「いも屋は毎日朝の卯の時(午前六時)から亥の時(午後十時)まで焼く。かまの煙はもうもうと立ち、こげたにおいがぷんぷんとかおり、柱や梁は真黒になり、戸や窓は熱で焼けている。サンバも老爺も下女も下男も買いに来る。四文も買えば幼児を泣きやませ、十文も買えば書生の朝食の代わりになる。八百屋町、全ての番署でも焼き芋が売られている」

とあり、その光景がまるで目に浮かぶようです。四文の焼き芋とは、現在の価格にして80円~100円程度。この頃は、砂糖が高級品だった時代ですから、甘くて安くて量のあるサツマイモはおやつとして大いに受け入れられたのでしょう。

参考

 

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