頼朝公の挙兵を前に一族が敵味方に訣別する葛藤と決断を描いた歴史演劇「鎌倉四兄弟」とは?:2ページ目
「鎌倉四兄弟」のプロフィール
鎌倉一族の祖先・鎌倉権五郎景正(かまくらの ごんごろうかげまさ)の末裔という原作者は「かつて鎌倉の地を拓き、治めてきた祖先たちに対する供養と、子供たちに郷土の歴史を伝え、興味を持ってもらうため、実在した武士のみにこだわって書いた」ということです。
この物語の主人公である「鎌倉四兄弟」は、実際に源平・敵味方に分かれて戦うことになるのですが、それぞれのプロフィールを紹介します。
長男・懐島平太郎景義(ふところじまの へいたろうかげよし)
若くして頼朝公の父・源義朝(みなもとの よしとも)公に仕え、「保元の乱(保元元1156年)」で敵将「鎮西八郎」こと源為朝(みなもとの ためとも)の矢を膝に受けたため、足が不自由となってからは、家督を弟の景親に譲って懐島(現:神奈川県茅ヶ崎市の一部)に隠居する。
ただし、権力への野心を完全には捨て切っておらず、頼朝公の挙兵に乗じて、一発逆転のチャンスを狙っている。
次男・大庭平三郎景親(おおばの へいざぶろうかげちか)
鎌倉一族の棟梁として大庭御厨(おおばのみくりや。現:神奈川県藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町一帯)を治め、平清盛(たいらの きよもり)公から「東国の後見」として坂東(関東地方)の支配を任されている。
かつて「保元の乱」で窮地に陥った景義を命懸けで救い出すなど、四兄弟の中でも情に篤い性格。大きな度量の一方で、謀略など小細工は苦手。