江戸時代以前の男色は決して「快楽のため」だけではない?恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった
先日の記事でも少し触れましたが、江戸時代の書物や浮世絵には女性同士の同性愛に関するものが少ないのに対し、男性同士に関するものは、当時の男色(男性同士の同性愛)の環境がどのようなものだったかを知るには事足りる情報量があるように感じます。
記録が少ない江戸時代のレズビアン事情…女性の同性愛の環境はどのようなものだったの?
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実際、江戸時代以前は男色の経験がある男性は多かったようですが、男色の関係にいたる理由は、なにも”快楽のため”だけではなかったようなのです。
僧侶にとって男色は通例行事?
平安時代あたりからすでに、稚児として寺に入ってきた少年を僧侶が溺愛し、男色関係におよぶことは行われており、宗派によっては稚児灌頂(ちごかんじょう)という儀式を経て稚児の初夜を迎えるところもありました。
当時の仏教界にとって男色は当然の儀式と言っても過言ではななかったのかも知れません。僧侶は女性と交わりを持てば女犯として罰せられたわけですからね。
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