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意外にも子どもに人気?! 高田馬場の流鏑馬

意外にも子どもに人気?! 高田馬場の流鏑馬

東京の高田馬場の名物と言えば、早稲田大学と鉄腕アトム(高田馬場はアトム生誕の地)だけではありません。地名の通りかつては「馬場」、お馬さんがいたところなのです。「高田」の名前は徳川家康の側室の一人である「高田殿(阿茶局)」がお気に入りの地だったからだそうですが、三代将軍家光の時代に旗本たちの馬術訓練場となり、「高田の馬場」と呼ばれるようになりました。

そしてこの馬場の穴八幡宮に伝わる「流鏑馬(やぶさめ)」は、現在でも地域の一大イベントとして毎年体育の日に開催されています。

 

この「流鏑馬」が行われるようになったのは、八代将軍吉宗の治世。将軍の世継ぎが疱瘡(ほうそう)にかかり、その回復を祈って奉納されたのが始まりのようです。流鏑馬は単なる馬術ではなく「神事」、神様に捧げるものなのです。予防接種のない時代は、こうした「厄除け」が大切なんですね。将軍家ではその後も、世継ぎ誕生のお祝いなどの折にこの地で流鏑馬を行なってきましたが、子どもの健やかな成長を祈る「節句」のような意味もあったのでしょう。

ということと関連があるからかどうかは分かりませんが、意外にもこの「流鏑馬」の見学者は親子連れが多いのが特徴です。もちろんマジな望遠レンズを携えて早朝から場所取りをしている御仁たちは、シニアを中心とした文化レベルの高い方たちのようですが、その人達に混じって「お馬さん」を見ようという子どもたちの姿が目立ちます。

しかも流鏑馬が始まり、矢を携えた射手が馬を駆るや否や、喜声を発している子どもたち。走り終えてご褒美をもらうお馬さんの様子までじいいっと観察し、ヒヒーンといななくとパチパチと手を叩いてはしゃいでいます。やはり都心の子どもたちは動物に触れる機会も少ないからなのでしょうか。確かに牧場や競馬場でも近所にない限り、馬が疾走する姿はめったに見ることができません。子どもたちはおじさんたちの装束のコスプレ?よりも、生の動物の姿に興奮しているようです。

高田の馬場と言えば、「忠臣蔵」四十七士の一人、堀部安兵衛の「高田馬場の決闘」でも有名な所です。そうした江戸の武士の荒々しい由来とは裏腹に、現代の「高田馬場」はほのぼのしたお馬さんとの触れ合いが行われていたのでありました。

穴八幡宮(ウィキペディア)-高田馬場流鏑馬の由来

 

 

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