
天皇の「万世一系」をくつがえす衝撃の学説!古代の天皇家に王朝交代はあったのか?【前編】:2ページ目
この騎馬民族征服王朝説に出てくる崇神天皇は第10代の天皇で、実在が確かと考えられている最初の天皇です。
この崇神天皇は名をミマキイリヒコといいますが、「ミマキ」の「キ」は「城」の意味で、ミマキは「任那の王」の意味だともいわれます。
応神天皇は崇神天皇より5代あとの天皇で、この2人の天皇と任那との関係は『日本書紀』に記されています。
崇神56年の条には任那国が蘇那曷叱知を遣わして朝貢したとあり、応神16年の条には、新羅を討つために加羅(任那)に精兵を派遣したとあります。
これを騎馬民族征服王朝説の説くところと重ね合わせると、なるほどつじつまは合います。
しかし、騎馬民族征服王朝説は古代史学界をはじめ日本国民にも衝撃を与えましたが、専門家や研究者からの反論・異論も多くあり、支持は広がりませんでした。