加賀国は「百姓の持ちたる国」!?戦国時代、百姓が自治を獲得した経緯と浄土真宗本願寺との微妙な関係
「自治」の獲得
戦国時代は日本各地が乱れに乱れましたが、なかでも特殊だったのは、富樫氏が治めていた加賀国でしょう。
当地では、富樫氏は何の実権もない飾り物になり、事実上百姓が支配していました。
富樫氏が転落するのは、一四八八年(長享二)の一揆によってです。
室町時代、一向宗(浄土真宗)は、蓮如の活動によって北陸・近畿地方の武士や農民の間に急速に広まっていました。
これに対して応仁の乱の抗争時、加賀の富樫政親は一向宗を味方につけ、敵対する勢力を退けます。
しかし、勢力を強める一向宗に危機感を抱き、今度は一向宗を弾圧しようとしました。これに反発した信徒たちが守護大名だった政親を滅ぼし、加賀で自治を行うようになったのです。
一揆勢は政親の居城を攻囲し、陥落させます。政親が自害したので、一揆勢力は政親に代わって富樫泰高を守護としました。
ただし、泰高には何の実権もなかったため、実権を持ったのは実質的に一揆勢力の百姓たちだったのです。