加賀国は「百姓の持ちたる国」!?戦国時代、百姓が自治を獲得した経緯と浄土真宗本願寺との微妙な関係:2ページ目
本願寺とのつながり
こうした信徒たちによる自治は、16世紀に織田信長が各地の一向一揆を平定し、石山本願寺を降状させるまで約100年続きました。
自治が続いた背景には、室町幕府の衰退と一向宗の支えがあったと言われています。
このことについて、浄土真宗再興の祖といわれた蓮如の子・実悟が、『実悟記拾遺』に「百姓等のうちつよく成て近年は百姓の持ちたる国のやうになり行き候ことにて候」と記しているのは有名な話です。
ちなみにここでいう「百姓」は、単に農民だけを指しません。農民はもちろんですが、商業を営む者、手工業者、侍までも「百姓」でした。
加賀では農民自治が数百年間行われたとイメージする人も多いかも知れませんが、ここまでの経緯を見ると分かる通り、百姓たちを後ろから支えていたのは浄土真宗本願寺派でした。
一四七一年(文明三)、 浄土真宗の拡大を目指す蓮如は、越前の加賀の国境付近にある吉崎に、北陸の布教の拠点をつくっています。
以来、加賀にも浄土真宗本願寺派の教えが浸透し、死をも恐れぬ彼らの力が国を覆すほどになったです。
とはいえ、ややこしいのは、一向一揆イコール本願寺というわけでもない点です。