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平安時代の酒乱の姫君…酔っ払って”神憑り”となった嫥子女王とはどんな女性だったのか?

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しこたま酔って神憑りに

長元4年(1031年)6月17日に月次祭(つきなみさい)を執り行っている最中、嫥子女王はにわかに神憑りとなりました。

「キエーッ!」

いったい何事かと周囲の者らが驚くと、嫥子女王は続けます。

曰く、我こそは伊勢の大神の荒魂(あらみたま。荒ぶる神格)であると。

続けて斎宮権頭(さいくうごんのかみ)の藤原相通(すけみち)とその妻である藤原小忌古曾(おきこそ)が不正を行っていることを訴えるために降臨した、と言います。

加えて斎宮を軽視・冷遇していることは今上陛下(後一条天皇)の失政である、と朝廷の態度を非難しました。

『後拾遺和歌集』によれば嫥子女王は酒をしこたま飲んでいたそうで、酔った勢いによって日頃の不満が噴き出したのでしょうか。

神の言葉を伝え終えた嫥子女王は、傍らにいた神宮祭主の大中臣輔親(おおなかとみの すけちか)へ、こんな和歌を詠みました。

さかづきに さやけき影の みえぬれば
ちりのおそりは あらじとをしれ

【意訳】盃にはっきりと月が映っているように、たとえ塵ほどの罪も神はお見逃しにならないことを知れ!

藤原相通・藤原小忌古曾夫妻の不正を間違いなく伝えよ、との強い意志を感じます。

これに対して大中臣輔親が詠んだ返歌がこちら。

おほぢちゝ むまごすけちか みよまでに
いたゞきまつる すべらおほんがみ

【意訳】祖父の大中臣頼基(よりもと)、父の大中臣能宣(よしのぶ)そして孫のわたくし大中臣輔親は、三代にわたり皇祖神(すめらみおやがみ。天照大御神)にお仕えして参りました。そのお言葉を、お伝えしないはずがございません。

という訳で、嫥子女王がもたらした託宣は、朝廷に届けられます。

斎宮が神の言葉を伝えるなど、前代未聞。事の重大さを感じた当局は、ただちに藤原相通・藤原小忌古曾夫妻を流罪としたのでした。

果たして彼らはどんな不正を働いたのか、そもそも朝廷の斎宮軽視とはどんな状態だったのか、そしてそれは改善されたのか、興味深いところです。

3ページ目 京都に戻り、藤原教通と結婚

 

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