平安時代の酒乱の姫君…酔っ払って”神憑り”となった嫥子女王とはどんな女性だったのか?:3ページ目
京都に戻り、藤原教通と結婚
その後、長元9年(1036年)に後一条天皇が崩御されると、嫥子女王は斎宮の座を退下しました。
京都へ戻った嫥子女王は永承6年(1051年)に藤原教通(のりみち。道長五男)と結婚。その継々室(三番目の正室)となります。
既に47歳となっていた嫥子女王。当時としては老齢に達しており、子供は出来ませんでした。
しかし夫婦生活は20年以上におよび、承保2年(1075年)9月25日に先立たれます。
そして永保元年(1081年)6月16日、嫥子女王は77歳で薨去したのでした。
終わりに
今回は伊勢の斎宮で藤原教通の妻となった嫥子女王について、その生涯をたどってきました。
藤原相通夫妻の不正とは何だったのか、そして朝廷は斎宮を重視するようになったのかが気になります。
他にも伊勢の斎宮はたくさんいるので、改めて面白いエピソードを紹介できたら嬉しいです。
※参考文献:
- 中野イツ『斎王物語』明和町教育委員会、1996年