わずか7歳で城主に!戦国の猛々しき女武将「立花誾千代」の波乱万丈な生き様を探る【前編】
武士として戦国に生きた人々の大半は男性だが、中には男性さながらに甲冑を身に纏い薙刀を片手に戦に身を投じた女性も存在したという。戦国期にはいくつかの女性武勇も伝承されている。
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今回はその中でも存在が確実視され、武士として印象的な活躍が言い伝えられている「立花誾千代(たちばなぎんちよ)」の人生を紹介する。
立花誾千代とは
1569年、筑後国(現在の福岡県)で「立花道雪(たちばなどうせつ)」の一人娘として生まれる。父・道雪は鎌倉時代から北九州を治める守護大名家「大友氏」の重臣であった。
道雪には二人の実子がいたが、いずれも女児であり長女は早世している。次女である誾千代は七歳にして家督を譲られ、激戦地として名高い「立花城」の城督(九州地方で存在が確認されている地位。城主の次席的立場にあり、城主の留守に城の管理を任された)の地位を得ている。
女児であった誾千代の家督相続には諸説があるが、当初道雪は家老であった「薦野 増時(こもの ますとき)」を養子として家督を譲る算段であったという。しかし、増時がこれを固辞したため実子の誾千代を立てたという流れが定説となっている。
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