作家デビューしたまひろ、娘に原稿を燃やされスランプに…大河ドラマ「光る君へ」8月4日放送振り返り:2ページ目
あかね(和泉式部)初登場!
「先生は歌を詠む時、そんなに難しいことをお考えなんですかぁ?私は思ったことをそのまま歌にしているだけですけれど」
私って、天才肌なのぉ~と言わんばかりに現れたあかね(泉里香)。いえ、別に聞いてませんが。
何ともケバくて残念な感じに仕上がりましたね。
当時は敦道親王(あつみち。冷泉天皇の第四皇子)と熱愛中。ちなみにその兄である為尊親王(ためたか。同第三皇子)とも恋仲でしたが、一昨年(長保4・1002年)に死別しています。
この時点で夫(橘道貞)と一人娘(小式部内侍)がおり、夫とは不倫発覚後も婚姻関係が継続していました。
為尊親王と不倫した時点で父親からは勘当されており、また敦道親王は彼女を自宅に招こうとしたため正室の藤原済時女(なりときの娘)は怒って出ていきます。
敦道親王との間に男子(岩蔵宮。のち永覚)を生みますが、寛弘4年(1007年)にまたも死別してしまいました。
他にも源雅通(まさみち。源雅信の孫)や治部卿(じぶきょう。源俊賢?)との関係も噂されるなど、そりゃ道長も「うかれ女」と評する訳です。
後に道貞と離婚し、長和2年(1013年)ごろに道長の家司・藤原保昌と再婚しました。
以降の消息については不明ですが、一説には保昌にも捨てられてしまったとも言われています。
ちなみに紫式部は自身の日記『紫式部日記』で、彼女をこう評しました。
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほひも見えはべるめり。歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、うたのことわり、まことの歌詠みざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠みそへはべり。それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢにははべるかし。恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。
※『紫式部日記』より
【意訳】和泉式部とは親しく文通していたこともありますが、その振る舞いには感心しません。
言葉のセンスは悪くないと思います。天才肌を気取っているようですが、古典の知識や和歌の理論を勉強していない言い訳ではないでしょうか。
それでもいくつか詠ませてみれば、一首くらいはマシな作品があります。が、正直なところ他人様の和歌を批評できるレベルではありません。
世間の人々は天才歌人ともてはやしているようですが、とてもそうは思えないのです。
……とのこと。ざっくり「たまにセンスのよいことを言うからとりあえず友達づきあいしているけど、内心では見下している」と言ったところでしょうか。
本作の「まひろ」も「けしからぬかたこそあれ」五十歩百歩だと思うのですが……。
今後二人がどんな関係を築いていくのか注目しましょう!