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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ

【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ:2ページ目

どうする何やかんや

何やかんやでカニが崎……もとい金ヶ崎の退口。家康の武勇と義理堅さを一躍天下に知らしめた名場面中の名場面。楽しみにしていた視聴者は、筆者だけではなかったはずです。

もちろん家康の生涯は75歳と長いので、そのすべてを一年間で描き切るのは不可能でしょう。

だから「あのエピソードが端折られた」「この人物が登場しない」というのは仕方がありません。

ただ、それでも最低限ピックアップした方が、魅力の伝わるエピソードというものがあります。

少なくとも側室オーディションとか阿月=小豆マラソンといった本編に何の影響もない創作エピソードでつぶした回を思えば、実にもったいないペース配分でした。

その犠牲と言うべきか、肝心の主人公がどのように成長したのかが、その過程がほとんど描かれていません。

恐らく物語のテンポが悪くなると考えて、そういう地道でひたむきな努力は割愛されたものと思われます。

しかし「何やかんや」と端折られて言った、本編では描かれていない努力の積み重ねこそ、人生ドラマの魅力ではないのでしょうか。

例えば瀬名が死ぬまではひたすら泣き叫んでばかりだった家康が、(劇中では数年経ったとは言え)月代を剃ったらいきなり「信長を殺して天下をとる」と言い出したり。

あるいは気づけば白兎が狸と呼ばれるようになり、何もしなくても周りが凄い凄いともてはやしたり……。

確かに、家康が天下をとったという結果は知っており、その周辺知識も多少はあるため、飛び飛びな画面の隙間で「何やかんや」あったのであろうことは察しがつきます。

しかし予備知識がない真っさらな視聴者にすれば「何だかよく分からない内に天下をとった」ようにしか見えません。それだと視聴者の共感は得にくいのではないでしょうか。

家康たちと共に泣き笑い、苦楽を乗り越えていく疑似体験に感動したい視聴者にとっては、置いてけぼりを食ったように思えてしまいます。

もう少し、何やかんやの過程を丁寧に描いて欲しかったです。

3ページ目 どうする武士たち

 

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