最近の若いモンは…家臣の奇抜なヘアスタイルに対する徳川家康の反応がこちら【どうする家康 外伝】:2ページ目
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武藤平三郎の曝元結
……また武藤平三郎某といふが御放鷹の折。その頃は流行の曝元結にて髪ゆひしを御覧じ。御輿近く召。汝が髪を見せよとて。汝が祖父の掃部はあまたゝび武功を有て用立し者之。汝がやうなる髪の結様はせざりき。祖父に似ぬたはけものかなと御志かりあり。これより旗下のものの髪のゆひやうむかしの風になり。元結を五巻より多くまかず。太き元結にていてふにゆひしとなり。(武辺雑談。感状記。)……
※『東照宮御実紀附録』巻二十五「旗本之頭髪」
またある時。家康が鷹狩りにいそしんでいると、武藤平三郎の髷が気になりました。見れば近ごろ流行りの曝元結(さらしもとゆい)で細く結っています。
そこで家康は平三郎を招き寄せて叱りつけました。
「平三郎よ。そなたの祖父・武藤掃部(かもん)は幾度も武功を重ねた忠義ものであったが、そなたのような髪結いはせなんだ。まったく、祖父に似ぬ戯け者め……」
武功と髷の太さ細さに何の関係があるのかと思いますが、恐らくは武功に驕ることなく地道に精進を重ね、華美な振る舞いを慎んだということでしょう。
家康に叱られて正気に返った平三郎は大いに恥じ入り、また他の者たちも髷を元の結い方に戻したということです。
終わりに
以上、若武者たちのヘアスタイルをたしなめる家康のエピソードを紹介してきました。
いかにも質実剛健を地で行った徳川家臣団にも、傾奇者は少なからずいたようですね。
戦国乱世も遠く昔に過ぎ去ろうとしている中、華美に流れる風潮を戒めた家康。治にあって乱を忘れぬ心構えこそ、徳川の世を永く保たせた秘訣ではないでしょうか。
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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