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【どうする家康 外伝】北条家から徳川家に仕えた中島盛直・中島信久兄弟のエピソード:3ページ目
弟・中島信久の生涯
●信久
五左衛門 中島筑後守盛信が二男、母は某氏。
東照宮につかへたてまつり、慶長五年関原御陣にしたがひたてまつり、元和元年大坂の役に供奉し、のち大番となり、寛永九年死す。年六十二。※『寛政重脩諸家譜』巻第二百一 清和源氏(義光流)中島
弟の中島信久は元亀2年(1571年)に誕生しました。通称は五左衛門。
恐らく兄と同時期の天正19年(1591年)に家康へ仕官し、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では兄と一緒に従軍します。
元和元年(1615年。慶長20年)の大坂の陣も従軍し、のち大番(親衛隊の一組織)に抜擢されました。
そして寛永9年(1632年)に62歳の生涯を終えます。法名や墓所の記述はありませんが、兄たちと同じだったら寂しくないですね。
【中島信久の子孫たち】
中島信久―中島正平―中島正勝―中島正俊―中島正武―中島正安―中島信敬(のぶのり)―中島信固……
※『寛政重脩諸家譜』巻第二百一 清和源氏(義光流)中島
終わりに
以上、北条氏から徳川家康に仕えた中島盛直・信久兄弟の生涯をたどってきました。
NHK大河ドラマ「どうする家康」本編に登場することはないでしょうが、関ヶ原の合戦には従軍しているので、どこかにいるかも知れません。
こうした無数の勇士たちが東西合わせて十数万人も大結集した関ヶ原の激闘、今から楽しみにしています!
※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第二輯』国立国会図書館デジタルコレクション
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