武田の血筋は現代まで…戦国時代を生き延びて武田の血を残した2人の信玄の子ども:2ページ目
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安田の名を継いだ武田信清
次に紹介するのは信玄の六男・武田信清(たけだ-のぶきよ)です。
信清は幼少期より仏門に入り、玄竜と名乗っていました。勝頼の代になると還俗し、甲斐源氏の一族である安田氏を継承します。
そして、玄竜から安田三郎信清と名を改めました。そのため、信清は安田信清としても知られています。
武田家滅亡後は上杉家に逃れる
天正10年(1582)の甲州征伐の際、信清は高野山に逃れたため難を逃れました。その後、上杉景勝の正室となっていた異母姉の菊姫を頼って、上杉家の客将として迎え入れられます。江戸時代になると上杉家の親族として1000石を与えられました。
また、武田の縁者ゆえに大久保長安事件で疑いを受けるも、関与した事実がなかったので、お咎めなしで済んでいます。
その後、信清は寛永19年(1642年)に死亡しました。享年は80歳でしたので、当時からすると大往生だったのは間違いないでしょう。ちなみに、信清から始まる武田家は「米沢武田家」として現代まで残っています。
最後に
戦国大名としての武田家は織田信長に滅亡されてしまいましたが、他家の家臣や高家とした別の形で残りました。
また、高家武田家として厚遇した徳川家康、正室の縁者だから迎え入れた上杉景勝を見ると、戦国時代で武田家は大名家として尊敬されていたことがうかがえます。
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