呼び付けて三時間も…!織田信長の「啓蒙家」としての一面について考察する:2ページ目
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なぜ信長は啓蒙家となったか
実際、信長はニセモノやまやかしを嫌い、「本物」を愛好するところがありました。
少し話はずれますが、彼が暗殺される直前に明智光秀を冷遇するようになったのも、光秀の忠誠心に疑わしいものを感じたからではないかという説があります。
なまじ光秀は頭がよすぎただけに、信長の前での立ち回りも大変上手でした。しかし、要領のいい人物というのは「あいつは本当は何を考えているのか」と疑われるものです。これが、信長と光秀の確執の大きなきっかけだったのかも知れません。
信長は、宣教師の話も何から何まで信じたわけではありません。目に見えない神と霊魂の存在については疑問を持っていたようですが、天文・地理の知識を吸収することについては貪欲でした。
おそらく彼は、こうして日本の僧侶たちの考えが間違っていることを家臣団に教え込み、死後に地獄に落ちるとか極楽にいくとかいう考え方には縛られないよう啓蒙を図ったのでしょう。それはもちろん、彼が宗教勢力とも激しく争っていたことと無関係ではなかったはずです。
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