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【最終回】「鎌倉殿の13人」義時たちに待ち受ける、それぞれの結末。第48回放送「報いの時」振り返り

【最終回】「鎌倉殿の13人」義時たちに待ち受ける、それぞれの結末。第48回放送「報いの時」振り返り

京都で再会した“りく”のその後

さて、京都を征圧した泰時と時房は、京都で暮らしていた“りく(演:宮沢りえ。牧の方)”と再会。彼女の娘きく(演:八木莉可子)が再婚した藤原国通(ふじわらの くにみち)の伝手を頼り、相変わらず豪勢な暮らしを楽しんでいました。

「宰相中将(さいしょうのちゅうじょう)と言っても、田舎の人には分からないでしょうけど……」

宰相中将とは左近衛(さこのゑ/さこんゑ)中将のこと、ここではその官職にあった国通を指します。

伊豆に捨てて来た元?夫の北条時政(演:坂東彌十郎)が亡くなっていたことも知らず、ずいぶんと薄情な悪女ぶりは相変わらずです。

そんな“りく”に対して、泰時は「晩年の祖父は幸せそうでした。身辺をお世話してくれる女性(サツキ。演:磯山さやか)もいましたし」と精一杯の皮肉を投げかけました。

「あの人は、なぜか放っておけないところがある」と飄々として見せながら、物陰では少し憂いの色をにじませた“りく”は、去り際「また会いましょう」とあえて明るく振る舞います。

捨てた伴侶が幸せなのが悔しかったのか、あるいはかつて自分に愛情を注いでくれた時政の面影が浮かんで、せめて最期まで添い遂げてあげればよかったと後悔したのかも知れませんね。

ちなみに、かつて時政&りく夫妻が鎌倉を追放される時、「会いに行く。あんたは俺に借りがある(≒から会わねばならない)」と言っていた三浦義村の伏線は、回収されずじまいでした(見逃してはいないはずですが……)。

その後も“りく”は京都で派手に暮らしたことが藤原定家『明月記』などに(皮肉を交えつつ)伝わっています。

4ページ目 最後まで愛されなかった“のえ”

 

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