【最終回】「鎌倉殿の13人」行け!俺たちの泰時… 第48回放送「報いの時」予習:4ページ目
官軍の敗北、泰時に院宣下る
一方、瀬田大橋では北条時房らの軍勢が大江親広(おおえ ちかひろ。広元の子)・藤原秀康(演:星智也)・小野盛綱(おの もりつな)・三浦胤義(演:岸田タツヤ)を撃破。敗れた官軍は這々のていで京都洛中へ逃げ帰ります。
「陛下、どうか門をお開け下され!」
御所の門を叩いた秀康たち。しかし後鳥羽上皇(演:尾上松也)はこれを拒否しました。
……院宣には男共御所に籠らば、鎌倉の武者共打圍て、我を攻ん事の口惜ければ、只今はとくとく何くへも引退けと、心弱仰下されければ、胤義是を承て、翔・重定に向て申けるは、口惜ましましける君の御心哉、かヽりける君にかたらはれまいらせて、謀反を起しける胤義こそ哀れなる……
※『承久記』巻下「後鳥羽上皇武士ニ退去ヲ命ジ給フ」
※読みやすさのため、カタカナを平仮名に直しています。【意訳】「そなたたちが御所に立て籠もれば、鎌倉の連中が朕を攻めるであろう。それは悔しくてならない。もはやそなたたちにしてやれることはない。すぐに逃げよ」と弱気な仰せ。胤義がこれを山田重定(重忠)は「何ということだ。陛下の気まぐれを真に受けて挙兵した胤義が気の毒でならない」と憤った。
もはや勝算も大義名分も失い、それぞれの最期を遂げようと離散していきました。
「さて、鎌倉の連中を鎮めねばならぬ」
明けて6月15日、泰時の元へ後鳥羽上皇からの院宣が届きます。
勅使「院宣である」
泰時「誰か、読める者はおらぬか?」
日常会話ならともかく、格式の高い文書に慣れていない東国武士たちは戸惑いました。
「そうだ、武蔵国の藤田殿なら読めるはず。アイツは文博士(ふみはかせ。ここではインテリ程度の意)だからな」
指名された藤田能国(ふじた よしくに)は院宣を読み上げる大役を果たします。
院宣は「今回の件は、叡慮(えいりょ。ここでは後鳥羽上皇の意思)によらず、愚かな近臣らの暴走である。よってそなたたちが望む通り命令を下そう。また京都洛中の治安維持を任せる(意訳)」とのこと。
ここに完全勝利が確定した泰時は、午前10:00ごろに六波羅入り。藤原秀康は逃亡し、三浦胤義は東寺に立て籠もって戦った後、西山の木嶋(現:木嶋坐天照御魂神社。京都市右京区)で自害しました。
京都洛中は大混乱に陥り、これで85代にわたり続いてきた皇室もこれでおしまいだ……そう嘆かぬ者はなかったと言います。