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【最終回】「鎌倉殿の13人」行け!俺たちの泰時… 第48回放送「報いの時」予習

【最終回】「鎌倉殿の13人」行け!俺たちの泰時… 第48回放送「報いの時」予習

多大な犠牲を払った宇治川の死闘

さて、こうして鎌倉を出発した俺たちの泰時は東海道を進撃。道中で続々と味方が集まり、その数なんと十万余騎に膨れ上がります。

一方、日本海側の北陸道を北条朝時(演:西本たける)が攻め上がり、こちらは五万余騎。本州真ん中の東山道ルートからは武田信光(たけだ のぶみつ。武田信義の子)が四万余騎を率いて突き進みます。

一方の朝廷では鎌倉方が攻めてくると聞いて大慌て。押松(演:矢柴俊博)の報告により、急ぎ防戦体制を定めました。

各地で激戦が繰り広げられた中、泰時たちは宇治川に到達。ここを越えれば勝利は確実です。

「かかれ!」

泰時の号令一下、芝田兼義(しばた かねよし)・春日貞幸(かすが さだゆき)・佐々木信綱(ささき のぶつな)・中山重継(なかやま しげつぐ)・安東忠家(あんどう ただいえ)らが渡河を敢行。

降りしきる矢の雨と濁流にもまれながら、なかなか渡れず十人中三人は溺死するという有り様。

後から続いた関政綱(せき まさつな)・幸島行時(ゆきしま ゆきとき)・伊佐大進太郎(いさ だいじょうたろう)・三善康知(みよし やすとも)・長江明義(ながえ あきよし)・安保実光ら96名と、彼らに従っていた兵八百ばかりが溺死してしまいました。

「このままでは埒が明かない。太郎(時氏)よ、ただちに加勢せよ!」

泰時の命を受けて嫡男の北条時氏(ときうじ)は佐久間家村(さくま いえむら)・南条時員(なんじょう ときかず)らを率いて宇治川に挑みます。いても立ってもいられず三浦泰村(みうら やすむら。三浦義村の嫡男)も続いて渡河を開始。

「こうしてはおれぬ!」

味方の劣勢を救おうと泰時も立ち上がり、急いで宇治川を渡ろうと馬に乗ったところ、春日貞幸(川で溺れかけ、一時撤退していた)がこれを引き留めます。

「鎧を着たまま川に入れば溺れてしまいます。渡るなら鎧をお脱ぎ下され」

「そうか」

仕方なく泰時が鎧を脱いでいる内に、貞幸が馬を隠してしまったので、泰時は仕方なく留まりました。

「あ、太郎殿が川を渡ったようです!」

向こう岸を見れば北条時氏が佐々木信綱と同時に敵前上陸に成功。芝田兼義らも続々と濁流から這い上がります。

「筏(いかだ)の支度ができました。さぁ、こちらへ!」

尾藤景綱(びとう かげつな)や平出弥三郎(ひらいで やさぶろう)らに命じておいた筏は、近隣の民家を取り壊した廃材でつくったもの。これによって本隊が宇治川を渡ります。

こうなったら勝負あり。官軍の大将を務める源有雅(みなもとの ありまさ。二位兵衛督)・源範茂(のりもち。宰相中将)・安達親長(あだち ちかなが。源左衛門尉)らはもはや防ぐ手立てもなく逃げ出しました。

しかし敗軍にも気骨の士はあるもので、葉室朝俊(はむろ ともとし)・八田知尚(はった ともひさ。八田知家の子)・佐々木高重(ささき たかしげ)・小野成時(おの なりとき)らは最期まで徹底抗戦。みごと玉砕したということです。

4ページ目 官軍の敗北、泰時に院宣下る

 

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