【最終回】「鎌倉殿の13人」行け!俺たちの泰時… 第48回放送「報いの時」予習:2ページ目
一人でも行け!三善康信かく語りき
さて、東日本の各地に軍勢を動員したものの、まだ兵は集まりません。そりゃそうです。使者を発してからまだ2日、メールやLINEもない当時、命令書が届いてすらいないところが大半でしょう。
……今日。天下重事等重評議。離住所。向官軍。無左右上洛。如何可有思惟歟之由。有異議之故也。前大膳大夫入道云。上洛定後。依隔日。已又異議出來。令待武藏國軍勢之條。猶僻案也。於累日時者。雖武藏國衆漸廻案。定可有變心也。只今夜中。武州雖一身。被揚鞭者。東士悉可如雲之從竜者。京兆殊甘心。但大夫属入道善信爲宿老。此程老病危急之間籠居。二品招之示合。善信云。關東安否。此時至極訖。擬廻群議者。凡慮之所覃。而發遣軍兵於京都事。尤遮幾之處。經日數之條。頗可謂懈緩。大將軍一人者先可被進發歟者。京兆云。兩議一揆。何非冥助乎。早可進發之由。示付武州。仍武州今夜門出。宿于藤澤左衛門尉淸親稻瀬河宅云々。
※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月21日条
「いつになったら出陣するのだ!」
ここにきて、広元がキレました。決して歳をとって気が短くなったからだけではないはずです。
「上洛すると決めたのだから、さっさと行け。ダラダラしているせいで、決意の鈍るヤツが出始めておるぞ。武蔵国の軍勢など待っているんじゃない。武州(泰時)殿一人でも出陣すれば、軍勢など雲が龍に従うごとく集まってくるものだ」
総大将たるもの、部下の事情や顔色などうかがうな。自分がどこへ行こうと部下がついてくるように振る舞わねばなりません。
そこへ今度は、三善康信(演:小林隆。大夫属入道)がやって来ました。このところ病が重く(※)今にも死にそうでしたが、鎌倉の一大事を前に、悠長なことは言っていられません。
(※)大河ドラマでは政子の傍らで座っていましたが、実際には病床に臥せっていました。
「ゴホゲホ……関東の安否はそなたらにかかっている。熟慮すべきことは当然ながら、今は一刻も早く出陣すべきです。軍勢が揃ったらなどと言ってないで、大将軍(ここでは泰時)一人でも出陣されよ!」
命懸けの訴えに心打たれた義時は、広元と康信の意見が一致したことを吉兆ととらえ、ただちに泰時を出発させました。
……とは言えもう夜も遅かったので、鎌倉の市中をちょっと出た稲瀬川のほとりに一泊させます。
それでも出陣は出陣。明日(5月22日)になると日取りが悪かったのと、「それではまた明日」などと言ったら爺さん二人が激怒しそうだったので、このような処置をとりました。