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悪逆非道のイメージが強い古代日本の大物政治家・蘇我馬子(そがのうまこ)の活躍と実績

悪逆非道のイメージが強い古代日本の大物政治家・蘇我馬子(そがのうまこ)の活躍と実績

古代日本最大の豪族

最近、歴史作家の伊東潤『覇王の神殿(こうどの)』という、かの蘇我馬子(そがのうまこ)を主人公とした小説を書いています。推古天皇や聖徳太子などのキャラクター描写も秀逸で、読み始めたら止まらない面白さです。

さて、古代史の研究も進み、かつてと比べて、この蘇我馬子という人の人物像もどんどん明らかになっています。

蘇我一族は代々天皇を補佐する役職である「大臣(おおおみ)」を務める豪族でした。特に蘇我馬子の政治手腕は大したもので、彼の代で蘇我一族は強大な権力を得ました。

彼によって、蘇我一族は四代・50年の長きに渡って政界を支配する道筋を得たと言えます。

一方で、蘇我馬子は政争や暗殺に関わった悪逆非道なイメージがつきまとっています。有名なものに、587年の9月に起きた丁未の乱があります。この戦いでは、ライバルだった物部守屋が討たれました。

物部氏は、蘇我氏と同様に天皇を補佐していた豪族です。物部守屋は日本古来の神々を信仰しており、当時、大陸から伝来してきたばかりだった仏教を排除しようとしていました。

その排除の手段というのが、馬子が建立に関わった寺を焼いて仏像を破棄するというもので、事あるごとに守屋と馬子は対立していたようです。

馬子はと言えば、当時の世界の最先端の学問だった仏教を日本に広めたいと思っていたのです。

2ページ目 屍を踏み越えて

 

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