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「鎌倉殿の13人」繰り返される挑発に爆発寸前!北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【下】

「鎌倉殿の13人」繰り返される挑発に爆発寸前!北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【下】

胤長と引き離され……愛娘・荒鵑の死

陰。和田平太胤長配流陸奥國岩瀬郡云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)3月17日条

果たして胤長は3月17日に陸奥国岩瀬郡(現:福島県須賀川市)へと流されていきました。憤る和田一族に、更なる不幸が襲います。

「父上……」

胤長には荒鵑(こうけん。鵑はホトトギスの意)という6歳になる幼い娘がおり、大好きな父と引き離された悲しみの余り、病に倒れてしまうのでした。

和田平太胤長女子〔字荒鵑。年六〕悲父遠向之餘。此間病惱。頗少其恃。而新兵衛尉朝盛其聞甚相似胤長。仍稱父歸來之由。訪到。少生聊擡頭。一瞬見之。遂閉眼云々。同夜火葬。母則遂素懷〔年廿七〕西谷和泉阿闍梨爲戒師云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)3月21日条

「荒鵑、しっかりして!」

「父上……父上……」

もはや回復の見込みはなく、せめて嘘でもいいから父上を感じさせてあげようと、胤長に似ていると評判の和田朝盛(とももり。義盛の孫)にお芝居をさせました。

「荒鵑や、父だよ。いま帰って来たんだよ。さぁ、いい子だから、お願いだから目を開けておくれ……」

「父、う……」

わずかに目を開けた荒鵑は、そのまま息絶えてしまいます。彼女の瞳に、せめて愛しい父が映っていたことを願うばかりです。

亡骸はその夜の内に火葬され、母親は「もはや胤長も永くは生きまい(殺されるだろう)」とばかり将来を悲観。27歳の若さで出家したのでした。

和田平太胤長屋地在荏柄前。依爲御所東隣。昵近之士面々頻望申之。而今日。左衛門尉義盛属女房五條局。愁申云。自故將軍御時。一族領所収公之時。未被仰他人。彼地適有宿直祗候之便。可令拝領之歟云々。忽令達之。殊成喜悦之思云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)3月25日条

「……平太(胤長)の館を、下げ渡していただきたい」

義盛は、亡き頼朝公の時代から通例であった通り、胤長の館を求めます。罪によって没収された土地や館は、その一族に下げ渡されるのが習わしでした。

「もちろん、いいとも!」

「ありがとうございます。これで出仕も楽になります」

胤長の館は将軍御所のすぐ東隣なので便利ですが、これに横槍を入れたのが又しても義時です。

「いけません!あんな場所を与えたら、鎌倉殿の喉元に刃を突きつけさせるようなものです!」

「そなたの気持ちも解りますが、和田を侮ってはなりませんよ」

母の尼御台・政子(演:小池栄子)もこれは看過できずに口添え。結局実朝は折れて義盛への許可を撤回、胤長の館は改めて義時に与えられたのでした。

3ページ目 和田一族と鎌倉殿の板挟みになり、出家した和田朝盛

 

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