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「鎌倉殿の13人」繰り返される挑発に爆発寸前!北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【下】

「鎌倉殿の13人」繰り返される挑発に爆発寸前!北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【下】

完全に断たれた和平の希望

和田左衛門尉義盛追放年來歸依僧〔伊勢國者。号尊道房〕。人成恠之處。外成追出之儀。内爲祈祷令參太神宮之由。有再三流言。仍世上弥物忩云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)4月24日条

ますます鎌倉が騒がしくなる中、義盛は4月24日に永年帰依してきたお抱えの祈祷僧・尊道房(そんどうぼう)を追放します。

「どういう事だろう、何か不始末があったとも思えないが……」

人々は「義時を調伏する(呪い殺す)ため、伊勢の神宮へ派遣したのではないか」などと噂しました。

霽。宮内兵衛尉公氏爲將軍家御使。向和田左衛門尉宅。是義盛有用意事之由依聞食。被尋仰其實否之故也。而公氏入彼家之侍令案内。小時。義盛爲相逢御使。自寢殿來侍。飛越造合〔無橋〕。其際烏帽子抜落于公氏之前。彼躰似斬人首。公氏以爲。此人若彰叛逆之志者。可伏誅戮之表示也。然後。公氏述將命之趣。義盛申云。右大將家御時。勵随分微功。然者抽賞頗軼涯分。而薨御之後。未歴二十年。頻懷陸沈之恨。條々愁訴。泣雖出微音。鶴望不達鷁。退耻運計也。更無謀叛企之云々。詞訖。保忠。義秀以下勇士等列座。調置兵具。仍令歸參。啓事由之間。相州參給。被召在鎌倉御家人等於御所。是義盛日來有謀叛之疑。事已决定歟。但未及着甲冑云々。晩景。又以刑部丞忠季爲御使。被遣義盛之許。可奉度世之由有其聞。殊所驚思食也。先止蜂起。退可奉待恩義裁也云々。義盛報申云。於上全不存恨。相州所爲。傍若無人之間。爲尋承子細。可發向之由。近日若輩等潜以令群議歟。義盛度々雖諌之。一切不拘。已成同心訖。此上事力不及云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)4月27日条

「何とか、和田と北条の戦さを避けられないものか……」

無益な流血を避けたい実朝は、義盛の館へ宮内兵衛尉公氏(くないひょうゑのじょう きんうじ)を使者に派遣しました。

「おぅ、来たか」

出迎えた義盛は、ふとした拍子に烏帽子が脱げてしまいます。恥ずかしいことなので慌ててかぶり直しましたが、公氏にはこれが「首が落ちるようだ。戦えば必ず滅びるであろう」と予感したとか。

「(気を取り直して)……いやぁ、俺も右大将家(頼朝公)の時代から、随分と忠義に励んだものさ。しかし右大将家が亡くなって20年もしてないのに、今じゃこんな有り様だ……まぁ、いくら喚いたって、鶴の声が天上の鷁(げき。伝承の鳥)には届かないよ。謀叛の心配なんかしなくていい。だってそんな気力もないのだから……そう鎌倉殿へお伝えしてくれ」

そう答えた義盛でしたが、傍らに控える古郡左衛門尉保忠(ふるごおり さゑもんのじょうやすただ)や義盛の三男・朝夷奈義秀(演:栄信)らは眼をギラギラさせています。もちろん、武備も万全でしょう。

「そうか……」

報告を受けた義時は御家人たちに和田謀叛の動きを周知。一方、実朝はどうしても不安なので、夜に再度使者を派遣。今度は刑部丞忠季(ぎょうぶのじょう ただすえ)です。

「どうか自暴自棄にならず、鎌倉殿を信じて欲しい」

しかし義盛の態度(もちろん内心も)は変わりません。

「だから謀叛なんて起こしやしませんよ。鎌倉殿に何の怨みがある訳じゃねぇんだから……でもまぁ、小四郎があんまり理不尽なモンだから、若い連中が『お邪魔』するかも知れねぇ。そこまではさすがに俺も止めようがねぇなぁ」

もはや交渉の余地なく、刻一刻と開戦の時が近づいていきます。

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