「鎌倉殿の13人」泉親衡とは何者か?北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【上】:4ページ目
辞世の和歌に感激した実朝、渋河刑部の罪を赦免
また、こんなこともありました。
囚人澁河刑部六郎兼守事。明曉可誅之旨。被仰景盛訖。兼守傳聞之。不堪其愁緒。進十首詠歌於荏柄聖廟云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月25日条
「渋河刑部(六郎兼守)につき、明日の明け方に処刑すべし」
安達景盛(演:新名基浩)からの命令を聞いて、兼守は深く悲しみました。
「しかし、今さらジタバタしても始まらぬ。この思いを辞世に詠み、同じく無実の罪で太宰府へ流された天神様(菅原道真公)にお聴き願おう」
というわけでさっそく十首の和歌を詠み、それを荏柄天神社に奉納させます。
と、ちょうど参籠(さんろう。祈祷のためお籠り参拝)明けの工藤藤三祐高(くどう とうざすけたか)がこの和歌を見つけて実朝に献上。
晴。工藤々三祐高。去夜參籠荏柄社。今朝退出之刻。取昨日兼守所奉之十首哥。持參御所。將軍家依賞翫此道給。御感之餘。則被宥其過矣。兼守愁虚名奉篇什。已預天神之利生。亦蒙將軍之恩化。凡感鬼神。只在和哥者歟。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月26日条
「こんな美しい歌を詠める者が、謀叛など企んだり加担したりなどするはずがない。ただちに処刑を中止し、罪を赦免せよ!」
……とのこと。こうして兼守は命拾いしました。「およそ鬼神を感じせしむは、ただ和歌にてありや(凡感鬼神。只在和哥者歟)」とはよく言ったものです。
しかし薗田・渋河両名の事例を見ると、実朝も結構豪快と言うか軽卒な面があったようで、ちょっと心配になってしまいますね。
霽。謀叛之輩。多以被遣配所云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月27日条
そんなこんながありながら、謀叛の発覚から12日が過ぎた2月27日、判決の出た者たちからそれぞれ配流先へと送られていったのでした。