「鎌倉殿の13人」ついに比企一族の滅亡。頼家が目を覚ますと…第31回放送「諦めの悪い男」振り返り:4ページ目
分割統治と臨終出家
「鎌倉殿は、一幡様ただお一人」
そう言い放って義時の提案を拒絶した能員。もちろん義時としては受け入れられるとは端から思っておらず、「粘り強く交渉を重ねたが、比企はそれを受け入れず謀叛に至った」とする大義名分を得るためのパフォーマンスに過ぎません。
……爰家督御外祖比企判官能員潜憤怨讓補于舎弟事。募外戚之權威。挿獨歩志之間。企叛逆。擬奉謀千幡君并彼外家已下云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)8月27日条
『吾妻鏡』では能員が「あくまで一幡のみに鎌倉殿を継がせようと叛逆を企て、千幡と北条一族を滅ぼそうと狙った」旨を記しています。
比企と北条がそんなやりとりをしている中、劇中では8月末に頼家が意識不明のまま臨終出家。頼朝の時と同じく「死ぬ直前であっても、まだ生きている内に仏道に帰依しておけば極楽往生」という駆け込み制度を利用したのでした。
……が、『吾妻鏡』にそうした記述はなく、大河ドラマの創作設定のようです。目が覚めたら、いきなり丸坊主にされていた……なかなか強烈なインパクトでしたね。
9月5日に目を覚ました頼家は、一幡たちや比企一族の滅亡を聞かされて激怒。北条を討つよう和田義盛(演:横田栄司)と仁田忠常(演:高岸宏行)に命じます。
が、義盛は北条派なのでこれを時政に通報、書状を届ける使者となった堀藤次親家(ほり とうじちかいえ)は時政の指令を受けた工藤小次郎行光(くどう こじろうゆきみつ)に殺されました。
一方の忠常は頼家からの任務を遂行したものかどうか迷っていたのか、あるいは「比企能員をこの手で暗殺したのだから、わざわざ意思表明するまでもなく自分は北条派だ」と思っていたのかは分かりませんが、どっちつかずの態度をとっています。
これが後に悲劇を招くのですが、その辺りは次回のお楽しみにとっておきましょう。
なお、実際に頼家が出家したのは9月7日。政子の指示によって仕方なくではあるものの、こうでもしなければ我が子を守れないという親心によるものと信じたいところです。
しかし、頼朝の時みたいに髻を切るだけではダメだったのでしょうか。