歴史は意外と古かった!「そうめん」っていつから食べられていたの?
暑い季節になり、子どもたちの夏休みも始まりました。これまで給食やお弁当があったご家庭も、夏休みの昼食メニューに悩んでいるかもしれません。そんなときに、のどごしもつるっとしていて食べやすいのが、そうめんではないでしょうか?
では、みなさんはそうめんがいつから日本にあるのか知っていますか?そして、夏の楽しみ「流しそうめん」はいつから始まったのでしょうか?
今回の記事では、そんなそうめんにまつわる歴史をご紹介します。
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そうめんの歴史は意外にも古い
日本におけるそうめんの歴史は意外にも古く、奈良時代にまでさかのぼります。
遣唐使の活躍によって当時中国から伝わった「索餅(さくべい)」が起源とされています。索餅は小麦粉と米粉を練り混ぜて縄状の形にした唐菓子のひとつと考えられています。
平安時代には、七夕に索餅を食べると病にかからないという中国の故事にならって宮中行事で取り入れられていました。一般庶民が食べていたわけではなく、貴族が祭事や行事など特別な機会に食べる存在でした。
室町時代に現在の形に
その後時を経て、室町時代にはそうめんは現代の形になったといわれています。「そうめん」が初めて文献に登場するのは、康永2年(1343年)八坂神社の『祇園執行日記』で「丹波素麺公事免除」という記載が見られます。
江戸時代にはそうめん作りが盛んに
江戸時代には、七夕にそうめんを供え物とする風俗も始まりました。これは、そうめんを糸に見立てて裁縫の上達を願ったものだそうです。1750年ごろからはさらにそうめん作りが盛んになりました。
そうめん作りが西日本で盛んな理由
全国で愛されるそうめんですが、奈良県の「三輪素麺」、兵庫県の「揖保乃糸」、香川県の「小豆島そうめん」が「日本の三大そうめん」と呼ばれるほか、西日本でそうめん作りが盛んなのが特徴です。
この理由のひとつには、原料となる小麦、軟水、食塩(海水塩)の産地が近かったことが挙げられます。
子どもも大好き、流しそうめんっていつから始まったの?
流しそうめん発祥の地は宮崎県高千穂町です。
風流な食べ方なので昔からあるものかと思いきや、昭和30年生まれのと意外と最近始まったものなのです。夏の野良仕事のときに外でそうめんを茹で、竹と高千穂峡の冷水を利用して涼を得た光景がヒントとなったといわれています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。