江戸時代には花粉症がなかった!?江戸時代の国民病にはどんなものがあったのか?:2ページ目
江戸の流行り病気とは
本当に文献は残っていないのか? 気になった筆者も調べてみたところ、「日光街道の飛脚が鼻水とくしゃみで困った」というような話や川柳は見つけられませんでした。浮世絵にもくしゃみをしている人間はこれといって見当たりません。
ただ喘息はあったようで、『水戸黄門諸国漫遊記』では喘息で苦しむ人を南天の葉で治療する描写が記録されています。
では過去に一般的だった病気とは何でしょう?
江戸時代の病気と薬の番付表『病薬道戯競』では
- 大関 疱瘡(ほうそう)…天然痘、胎毒(たいどく)…生まれつきの毒
- 関脇 五疳(ごかん) …疳の虫、卒中(そっちゅう)…脳血管疾患
- 小結 悪疾(あくしつ) …治りにくい病気、小結…風邪(かぜ)
と続き、前頭までざっと40種類ほど書いてあるのですが、上位にはアレルギーのような症状は書いてありませんでした。
大関に天然痘があるのが恐ろしいですね。現代では撲滅されて本当に良かったと胸をなでおろす思いです。また、脳卒中や風邪など、現代と変わらないものが上位に。やはり風邪は万病のもとですね。
日本の花粉症の変遷
戦後からすぐ花粉症が広まった気がしますが、戦後はブタクサのアレルギー患者の方が多かったとのこと。
ブタクサは、第二次世界大戦後に焼野原となった日本に緑を咲かせるためとして、アメリカ進駐軍からブタクサが持ち込まれました。しかし1961年にはブタクサによる花粉症が確認。花粉症というもの自体が医学界で正式に認められるようになります。
高度成長期になり杉の植林が増えると、今度はスギ花粉のアレルギーが報告されるようになります。70年代になると植林したスギが一斉に花粉を飛散し、花粉症患者が激増したといわれています。
ちなみに筆者は花粉アレルギーではありませんが、登山中の経験からすると、アレルギー持ちの人でも登山中は症状がでないことが多いようです。真下に落下するものではなく、地面に落ちても土が吸着するからでしょうか。なんにせよ、急激な食生活の変化や化学物質など、複合的な要因があると思わざるを得ませんね。
花粉症の皆様おだいじに。