堅物なれど優しさ・忠義心はナンバーワン!武将・石田三成の名エピソード3選:2ページ目
最後まで貫かれた忠義
また、主君である豊臣家に対して大変忠義深い人物であることも知られています。
ご存じの通り、彼が大将となった西軍は、関ヶ原の戦いで敗れました。そして三成は東軍に捕らえられ、斬首が決定します。
そして処刑直前のことです。三成と小西行長、安国寺恵瓊の三人に「江戸の上様からである」と言って小袖が送られました。
この「上様」とは家康のことを意味します。三成以外の二人はそれを受け取りますが、三成は「上様は秀頼公より他にいない。いつから家康が上様になったのだ」と言って受け取ることを拒否しました。
三成は自らの処刑を目前にしても豊臣家への忠義を貫いたのです。
優しく忠義深いだけの男ではありません。三成はこの最期の処刑の際に見張りの兵士に水を要求します。「水はないから代わりに柿を食え」と言われると「柿は痰の毒である」と言ってそれを拒否しました。
処刑の前に毒を食らったところで何になろう、と周りの人間たちはそれを笑います。
しかしながら三成は「大志を持つ者は最期まで命を惜しむ者だ」と言い、最期のその瞬間まで自らの志を諦めることはありませんでした。
石田三成の人となりが少しわかるようなエピソードを紹介しました。ひと口に、堅物と言っても人間にはいろいろな面があるものですね。そうした人々の人間模様を探るのもまた、歴史の面白さです。
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