参勤交代の弊害は「都会っ子」を生み出したことだった!?昔からあった都会/田舎の軋轢:2ページ目
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「都会っ子」に対する領民の反感
つまり、藩主の世継ぎとして育てられた子は、実際に育っているのは江戸であるため、自分の「お国」を知らずに江戸生まれ江戸育ちの都会っ子になってしまうわけです。
そのため、世代交代が進むと、藩主よりも家老のほうが国許の藩政に詳しいという状況が多くの藩で生まれてしまいました。
その国の「お殿様」であるにも関わらず、実際にその地で育っていないので地域のこともよく分からず、しっかりとした統制も取ってくれない。そんな藩主に、国許の領民たちはどう思ったでしょう。
さらに反感を買う背景として、費用の問題があります。
参勤交代の費用は、基本的に自腹でした。しかし大名にとっては自分の威厳を発揮できる一大行事だったこともあり、相当な費用をかけており、後年になると、多くのお供を連れ立って自分の権力を誇示する行事のように行われています。
いわゆる「大名行列」ですね。
もちろん、行列の人数が増えれば増えるほど、参勤交代にかかる費用は膨大になります。
ではその費用はどこから補うのかというと、年貢です。
あまり国許に姿を見せないにもかかわらず、自分の見栄のために藩のお金を浪費する領主を領民が慕うわけがありません。しかも、その浪費しているお金は自分たちが収めた年貢なのです。藩主の金遣いが荒くなればなるほど、国許の領民は年貢で苦しむことになるでしょう。
こうなると、藩主がいる江戸と、領民たちがいる国許との間には大きな溝ができるのも当然です。
こうして江戸への一極集中が参勤交代という形で続いていたことにより、都会(江戸)と田舎(国許)にギャップが発生していったと言われているのです。
田舎に馴染めない都会っ子が、いろいろな軋轢を起こしていた……。まるで現代のようです。
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