浮世絵師・月岡芳年の名作「月百姿 朝野川晴雪月 孝女ちか子」の裏に隠れた悲劇的な物語の結末【前編】
「自分の身を犠牲にしてでも誰かを救いたい」という想いは、そのやり方の違いはあっても古くから存在する考え方の一つだと思います。
そしてそのような考えから得られる結果は悲劇的な事が多いのも事実でしょう。今回はそんな浮世絵にどんな背景があったのか、ご紹介していきます。
『月百姿 朝野川晴雪月 孝女ちか子』月岡芳年:作
川べりの草でさえ、雪の重みに耐えかねぬような冬の寒い夜、地味な丹前姿の女性が凍てつくような川の流れに身を投げ、驚いた鷺が飛び立ちます。沈みかけの満月に照らされた妙に明るい雪灯りの夜。まるで無音の世界のようです。
上掲の作品は浮世絵師、月岡芳年の晩年の大作『月百姿(つきのひゃくし)』という全100点揃の大判錦絵の中の一つ「月百姿 朝野川晴雪月 孝女ちか子」です。
手を合わせ悲しみと祈りとがない混ぜになったような表情で、川に落ちていく女性の一瞬を切り取ったようなこの作品からは彼女の絶望感が伝わってくるようです。
なぜ彼女はこのように自ら命を断つようなことになったのでしょうか。
ちか子の本名は“千賀”といい加賀国(現在の石川県)に生まれました。千賀の祖父は「銭屋五兵衛」という人物だったのです。
銭屋五兵衛とは
千賀の祖父は「銭屋五兵衛」といい、銭屋の家系は代々加賀国の金沢で両替商・醤油醸造・古着商などを商っていました。五兵衛の父は金沢の外港の“宮腰”を本拠地として海運業にも手を拡げますが、そのときは振るわずに廃業します。
17歳で家督を継ぎ父の商売をさらに繁盛させていた五兵衛は、39歳の時に質流れの古船を手に入れて修繕し、当時盛んであった北前船の海運業を本格的に始めたのです。
“宮腰”は北前船の重要な中継港であり、五兵衛は米や木材の売買を中心に商いを拡大していきます。
北前船の特徴としで、自己資金で調達した荷を寄港地でより高く販売する商売船の「買い積み」があります。地域による価格差で儲けを出す仕組みで、価格差が大きいほど利益が上がるというものでした。
それまで材木の輸送は運賃だけを稼ぐだけの「賃積み」が一般的でしたが、五兵衛は利幅の見込める「買い積み」を選択し、それは材木の供給元の商売人にも利益を生み出し、歓迎されました。
しかし「買い積み」は船が沈没したり、買い手がつかない場合は大損になるというリスクも伴うものでした。
やがて五兵衛は、最盛期には千石積みの持ち船を20艘以上、全所有船は200艘を所有するという大海運業者となり『海の100万石』と呼ばれるほどの豪商となったのです。