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戦国時代の日本に火縄銃が伝わった経緯とその後の「銃規制」の顛末

戦国時代の日本に火縄銃が伝わった経緯とその後の「銃規制」の顛末

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2022/02/12

日本に適した瞬発式、そして銃規制へ

瞬発式の銃の特徴は、点火してから発砲までの時間が短いことです。その一方で、暴発しやすいというデメリットもありました。

緩発式はその逆で、点火してから発砲まで時間がかかり、だけど安全で操作性も優れていました。

これを踏まえて考えると、ヨーロッパは見晴らしのいい平原が多いため、遠くからでもゆっくり狙えるし弾幕も張りやすいので、発砲までに少し時間がかかっても、安全性の高い緩発式の方が利便性が高いことになります。

しかし日本は平原が少なく、障害物だらけです。よって、敵を見つけたらすぐに撃たなければなりません。だから、暴発の危険があってもできるだけ早く発砲できるものの方が適しているのです。

最後に、豊臣秀吉が1588(天正16)年から実施した「刀狩」について解説していきます。

「刀狩」の概要についてはほとんどの人が知っていると思います。これも小学校の教科書のイラストのイメージですが、全国規模で農民たちが持っている刀や槍などの武器を取り上げた、というものですね。

しかし、「刀狩」などというくらいですから刃物しか取り上げていないイメージがありますが、実はこの時、鉄砲も対象とされています。いわば、刀狩とは日本初の「銃規制」でもありました。

この、日本の銃規制は江戸時代も受け継がれていきます。遠距離を持ち歩いてはダメ、関東へ持ち込むには老中の許可が必要など、かなり厳格なものでした。

一方、農民にとっては、鹿や猪による畑での獣害を防ぐために銃は不可欠なものでした。そこで、期間を限定して貸し出す「拝借鉄砲」「預鉄砲」「日切鉄炮」「四季打鉄炮」というものもあったそうです。

参考資料

 

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