縄文時代はなんと一万年以上もあった!(2)草創期、弓矢や土器を創り定住生活へ:3ページ目
定住生活の始まり
さて、土器が誕生したのは偶然の産物の積み重ねかもしれませんが、人々は土器が生まれたことにより、狩猟した動物や貝・魚などを煮炊きして食べたり、採集した木の実を加工したり保存したりすることによって、移動する生活から定住する生活へと変化していきました。
そして土器によって煮炊きするようになると殺菌効果を得ることもでき、人々の健康状態にも大きな影響を与え、人口増加にも繋がっていきました。
また海面の上昇により貝などの海産物を採取する漁場が増えたことも、定住生活に大きく影響を与えたと思われます。多くの貝塚が存在することもその結果といえるでしょう。
竪穴式住居
定住できることが可能になると、それに伴い竪穴式住居が作られるようになりました。
国内で最古級で最大の定住化した集落として発見されたのは、九州南部鹿児島県霧島市の「上野原遺跡」や鹿児島県日置郡にある「金峰町の遺跡」です。上野原遺跡は縄文時代早期前葉の約紀元前10,000年前には10軒程度の集落が形成されていたと推定されています。
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