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【明智光秀のメンタルカルテ】光秀はジキルとハイド!?ブラック労働が「本能寺の変」の引き金か

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ブラック労働が心を蝕む

もし仮に、本来の明智光秀は温厚で理性的な人格者であったと仮定した場合、上司の命令だからと残忍な行いを全うする自分自身を受け入れることは、容易ではなかったでしょう。

仕事だから、本意でないこともしなくてはならない。仕事は仕事。プライベートはプライベート。

上手に切り分ける器用さがあれば、ストレス発散しながら矛盾とも付き合って行けたでしょう。

しかし上司は織田信長。

気まぐれで気分屋。躁鬱気質で、突発的に予想だにしない指示も出します。

そのために最前線で振り回され続けているのが、誰あろう、明智光秀です。実際、織田信長は1580年頃に、長きにわたり信長に支えた重臣たちを、職務怠慢との理由で突如追放しています。

この時には難を免れた明智光秀。しかしいつ自分も、同じ目に遭わされるかも知れません。もっと頑張らなくては、もっと結果を出さなくては、家族も家臣も守ることはできない。

より一層精神的に追い詰められていったことは、想像に難くありません。

壊れゆく明智光秀の心

自己矛盾を抱え、重すぎる責務とプレッシャーに苛まれた明智光秀。明智光秀が本能寺の変を企てた理由として、織田信長による執拗ないじめに耐えかねたからというものが広く伝わっています。

しかし裏を返せば、それまでの優秀な明智光秀とは別人のよう。

織田信長自ら叱りつけなければならない状態に陥っていた、とも解釈できます。

過度のプレッシャーが明智光秀の心を蝕み、情緒不安定や認知機能やパフォーマンスの著しい低下を引き起こしていた可能性はないでしょうか。
その結果、仕事でミスを繰り返したり。

仕事中ぼーっとしてしまい、集中力を欠いたり。これまでの優秀なビジネスパーソンであった明智光秀とは全くの別人になっていたとしたら。

織田信長に激しく叱責された理由としては、十分でしょう。現代で言う、ブラック企業で心身ともに壊していくのと同じ状況に追いやられていた可能性が考えられます。

3ページ目 そして窮鼠猫を噛む

 

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